にゃんぼのふぁいるめーかー劇場

解説プラス4コマ漫画による、
にゃんぼのふぁいるめーかー劇場

こんにちは、にゃんぼです

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今日は、にゃんぼとふぁいるめーかーの「切っても切れなかった縁」についてお話します。

1.出会い

にゃんぼがふぁいるめーかーと出会ったのは、今をさかのぼる30年も前のことです。

そのころにゃんぼのいた会社は、まさに日の出の勢いで社員と売り上げを増やしていました。
時まさにバブルの絶頂に向かう時期で、この会社はユニークな人材と経営形態でけっこう有名な会社でした。

この会社は、当時まだ珍しかったパソコン(Macintosh)を社員一人一人に配布し、「EGWORD」で企画書を作り、「Illustrator」「Photoshop」でデザインし、DTPソフトで組版していわゆるプリプレスのさきがけのようなことに取り組んでいました。
そして、出来上がったDTPファイルやいろいろなデータを管理するために、ふぁいるめーかーが使われていました。

この頃のにゃんぼの仕事は、企画営業(AE:Account Exectiveと言われていた)だったので、もっぱらふぁいるめーかーにはユーザーとしてかかわっていました。開発者ではありません。

当時のMacintoshには、「PLUS」とか「SE」とかの機種があり、OSは「漢字Talk」というものでした。

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bom

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この「漢字Talk」が実にやっかいな代物で、何の前触れもなく突如現れる「爆弾マーク」とともにクラッシュし数時間かけて作り上げた企画書が水の泡になってしまう、そんなことは日常茶飯事でした。
でも、そんなときも「あ~あ!またMacがやってくれた」と思いつつも、「かわいい奴め!」と心底Macのことを恨むことはありませんでした。
この辺の話は、昔ブログに書いたことがあります。

フェアマインド社長ブログ/合掌スティーブ・ジョブズ!懐かしい漢字トーク

2.時代の流れとにゃんぼ

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この会社でMacと格闘しつつ、バブルに向かう浮ついた空気の中で、やれ今日は麻雀、明日は銀座で飲んでそのあとはジュリアナ、帰りはタクシーで府中の自宅へという日々を、にゃんぼは満喫していたのでした。
週末の土日は、普段の午前様の罪滅ぼしで、子供の世話をずっとやってました。
といっても、子供をぞろぞろ連れて府中競馬場へいき、朝から晩まで競馬してただけですが。

相変わらず、ふぁいるめーかーをユーザーとして使っていましたが、データベース(器)を自分で作ることはありませんでした。
会社を辞める前の最後の仕事に、日本全国の理工系の主要大学の先生から論文を集め高価な本を作り、丸善とかに売り込む仕事をしましたが、ここでも編集とデータ管理にふぁいるめーかーは大活躍していました。
この書籍がインターネットと連動したら、かなりいい線行ったのではと今でも思っていますが、インターネットはまだ全く普及していませんでした。

そうこうしているうちにバブルがあっけなく終わり、すったもんだの末故郷の高崎に帰ってきたのが1994年のことです。
その後1年間ほど、にゃんぼ親父の晩年介護をして、にゃんぼ親父が67歳の若さで昇天したあとおもむろに最初の会社を起ち上げました。95年の12月のことです。

マイクロソフト社のWindows95が発売され、パソコンの本格的な普及が始まる、そんな時期でした。インターネットも一気に広がっていきました。
しかし、元来へそが曲がっているにゃんぼは流行りものに飛びつくことができないので、相変わらずMacのユーザーでした。そのころPerformaとかいう機種があり、YAMADA電器でプリンタなどと仕事に必要な一式をそろえると、50万くらいかかりました。Winマシンと比べ、MacはPorscheのような道具だったのです。

しかし、当のApple社は、まさに倒産寸前の時代で、コカコーラ出身のオジサンがCEOをやったり、アメリオという人がそれに代わったり、内紛とごたごたが続いていました。日本のAppleは、今やベネッセの謝罪担当者となっているあの原田なんとかさんが代表をしていたと思います、確か。

つまり、Appleやふぁいるめーかーの周辺には、それをプラットフォームに仕事をしよう、等とはとても思えないような暗い話題しかなかったのです、デザイナーは別として。
したがって、田舎で仕事をして飯を食わなければならないものにとって、Macやふぁいるめーかーは選択肢にない状況にありました。それからにゃんぼは、ふぁいるめーかーから少し離れることになります。

その時、本質的にWin&ゲイツ嫌いなにゃんぼは、オープンソースとして脚光を浴びつつあったLinuxに着目したのです。LAPPとかLAMPとかいわれる世界の話ですね。

しかし結局のところ、起ち上げた最初の会社はうまくいかず清算と相成り、その後いろいろな紆余曲折を経て2010年ごろにはフリーランスをやることになりました。

3.野良猫時代のにゃんぼ

フリーの仕事は、今でいう「ノマドワーカー」のようなものです。
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自室が仕事場ですが、長い時間家にこもってシコシコやるのは性じゃないので、毎日車でどこかへ出かけていきます。
今日はここの喫茶店、明日はあそこの図書館とネットカフェ…。この頃はすでにWinユーザーとなっていましたが、別のマック(McDonald’s)には大変お世話になったものです。そういえば、ベネッセの謝罪担当原田さんは、McDonald’sのCEOもやっていたことがあり、にゃんぼはずっとこのオジサンのお世話になってきたともいえる(笑)。

ノマド稼業は、毎日変化があって面白いのですが、電源の確保に頭を悩ませていました。車のコンセントの電源をインバーターで変換して仕事をしたこともあります。コワーキングスペースなんて、言葉すら聞いたことはありませんでした。
この辺りのことも、前にブログに書いています。

フェアマインド社長ブログ/遅ればせながら「ノマド」なる言葉を最近知り…。

そして、このころから、ふぁいるめーかーを使ってデータベースを作る仕事が、いくつかの取引先から舞い込むようになってきたのです。
しばらくLAPPやCMS、オープンソースの世界にいたので、はるか昔にユーザーとして付き合っていたふぁいるめーかーのことを思い出すのに苦労しましたが、そこは世渡りが(少し)うまいにゃんぼ。なんとかふぁいるめーかーの仕事を軌道に乗せ、セカンドチャレンジとして今の会社を起ち上げたのが2013年4月のことです。

◎にゃんぼの会社/高崎のITコンサルティング・システム開発会社【株式会社フェアマインド】

4.社長になったにゃんぼとふぁいるめーかー

nyanbo_ceo
にゃんぼが再び会社の社長としてドヤ顔をすることができるようになったのも、たくさんの方の暖かいご支援があってのことです。
野良猫にゃんぼに、生きながらえるだけの餌とチャンスを与えてくれた皆様に、こんな場ですが深く感謝を申し上げます。

最後は、少し真面目な話で締めます。

にゃんぼがふぁいるめーかーを好きな理由は、
  1. 開発をブラックボックスにして、ユーザーに高い人足対価を要求するIT業界への根本的な不信を根強くもっている。フレンドリーなふぁいるめーかーなら、システム機能の実現方法までユーザーと一緒に考えることができる。
  2. 使っていると、「次はこれ、その次はこれをやりたい!」とアイデアや発想が数珠つなぎに浮かんでくる不思議な力をふぁいるめーかーはもっている(この辺り、言語化が難しい)。
  3. データベースの機能だけでなく、画面レイアウトを作る上でもMac由来の「気持ちの良くなる仕掛け」(これも言語化困難)を有している。

などでしょうか。

 

そんなふぁいるめーかーも、今や開発者の「高齢化」が進んでいると聞きます。若い人にあまり人気がないそうです。
地元の大学や若い人のサークルでふぁいるめーかーをやりたいというお話でもあれば、手弁当一つ(おいしいキャットフード一つ)ではせ参じよう、などと思っているにゃんぼでした。

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